説教要旨
8月8日 「別れを告げる時 」 大村 栄
使徒言行録20:17~35
◇この箇所はエフェソの長老たちに語るパウロの「惜別説教」である。この町で多くの迫害に遭いながらも、彼が語り続けた内容は、「21:神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰」の2つだったと言える。
◇「放蕩息子のたとえ」(ルカ15:11以下)で、息子が我に返って「父のもとに帰ろう」と決断する。この方向転換の決断が「神に対する悔い改め」だ。しかしその決断は容易でない。「迷子の小羊」(ルカ15:1以下)で、自分で群れに戻れない小羊が、羊飼い(キリスト)の探し求める声への応答が「主イエスに対する信仰」だ。
◇彼は上記の「悔い改めと信仰」を、証しすることが出来るなら、「24:この命すら決して惜しいとは思いません」とまで言い切っている。だがこれほど語っても聞かない人については、「26:わたしには責任がありません」と冷たく言い放つが、また一方で「31:わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして」ほしいとも言う。
◇パウロは全力で教会を愛してきた。だが彼が教会を愛する以上に、もっと深い愛がある。それは「28:神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会」という言葉に込められた「神の愛」である。神はみ子イエスの血を十字架に流してまで、教会をご自分のものとして下さった。習志野教会を、さらに一層「神の教会」に相応しくするためには、どうしたらよいか。
◇パウロはエフェソの「長老たち」に語ったが、現代なら「牧師たち」と置き換えられる。神は「28:神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです」。「教会の世話」は様々な任務を含むが最大の務めは、「32:今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます」。神の「恵みの言葉」を語ることが牧師の最大の勤めなのである。
◇その内容こそが、放蕩息子のような「神に対する悔い改め」と、羊飼いのような迷子の小羊を探す招きに応える「主イエスに対する信仰」である。
◇パウロも命がけで語ってきたこれらを牧師が語り、皆さんが聞き、さらに広く宣べ伝えられるならば、その時こそ習志野教会は、「28:神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会」に相応しく、神の愛のしるしである十字架を、さらに高く掲げる教会となっていくのである。
日本キリスト教団 習志野教会 〒262-0044 千葉市花見川区長作町1630-14
Mail : info@narashino-church.com TEL&FAX 043-306-5766