説教要旨
  
  7月25日 悔い改めを捧げる  大村 栄
              ホセア書6:1~6      

◇預言者ホセアは紀元前750年頃、イスラエルの南北分裂時代に神の裁きを説いた。イスラエルは神の民なのに、神に頼ることをせず、神ではなく大国に頼り、政治や外交という人間の手段に頼ったために、アッシリアに滅ぼされた。そうなる前に悔い改め、神に立ち帰るべきだった。

◇「1:さあ、我々は主のもとに帰ろう」。まずは「主よ、おゆるし下さい」と神に祈るべきだったが、彼らはそうせず同胞に呼びかけるのみだった。だからこれは「偽りの悔い改め」(6章の小見出し)なのだ。

◇「1b:主は我々を引き裂かれたが、いやし/我々を打たれたが、傷を包んでくださる」。きっと最後に神は赦して下さると楽観的だ。この民は出エジプト後に農耕民族となって安定すると共に、かつての遊牧時代の緊張と信仰を失なっていった。農耕民族には巡り来る四季への信頼がある。そういう将来への甘い期待が、人の罪の自覚と悔い改めを妨げるのだ。

◇「偽りの悔い改め」を重ねる民に対して、神は「4:エフライムよ/わたしはお前をどうしたらよいのか」と悩まれる。「4b:お前たちの愛は朝の霧/すぐに消えうせる露のようだ」とその信仰の弱さを指摘する。

◇信仰も礼拝も形式的、儀礼的なものになっていた。主は言われる。「6:わたしが喜ぶのは/愛であっていけにえではなく/神を知ることであって/焼き尽くす献げ物ではない」。詩編51でダビデも言う。「19:神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を/神よ、あなたは侮られません」。形式的な捧げ物でなく「打ち砕かれ悔いる心」、すなわち本当の「悔い改め」を神は求めておられる。

◇神はご自分に背き、悔い改めを拒む民であっても平気で滅ぼしたのではない。「ああ、エフライムよ/お前を見捨てることができようか。...わたしは激しく心を動かされ/憐れみに胸を焼かれる」(ホセア書11:8)。頭を抱え、胸をかきむしるような、愛するがゆえの苦悩を語っている。

◇その悩みの中で、み子イエス・キリストの十字架が立てられた。これは神が見出された唯一の方法であり、神の愛と憐れみのしるしであった。そしてこれは最大の警告である。それに応えて私たちは、心からの悔い改めの祈りを、神に捧げるものでありたい。

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