説教要旨
  
  7月11日 狭い門から入りなさい  大村 栄
              マタイ福音書7:1~14      

◇「1:人を裁くな」。私たちは人を裁こうとするが、自分の罪は忘れている。「3:あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか」。神は私たちの「丸太」のような罪を、キリストの十字架によって赦して下さった。これが「福音」の内容である。

◇その「福音」を「6:神聖なもの、真珠」と言う。「6:神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない」。しかし、先週の金允道先生の説教で、主イエスは悪い土地にもあきらめずに種を蒔き続けて下さると言われた。真珠を拒絶する豚から求める豚(失礼な言い方かもしれないが)に変えて頂けるよう、あきらめずに祈り続けたい。

◇「7:求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」。祈りは必ず神が聞いて下さる。ただしその応答のあり方には微妙ものがある。

◇「9:あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。10:魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか」。パンを求める我が子に石を与えはしない。魚を欲しがる子に蛇を与えはしない。

◇だが必ずパンや魚を与えるとは言われていない。「11:あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない」。「良い物」とは願い通りの物とは限らないが、すべてをご存じの神が最善を与えて下さる。

◇「12:だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である」。「されたくないことはしない」という消極的な態度ではない。欠乏している人が必要なものを、私は不要だから、私には有り余っているからではなく、私にも必要であっても、それを手放して積極的に相手に与える愛の業である。

◇この「黄金律」の最大のモデルが、自分の命を十字架で与え尽くしたイエス・キリストだ。神は復活においてみ子に最高の栄光を与えられた。私たちはこのような神のなさりようを見て、神への信頼を深めるのだ。私たちも黄金律を生きるなら栄光の一端にあずかるであろうと信じる。

◇「13:狭い門から入りなさい」。栄光への道は狭いが、入った時にそれが「13:滅びに通じる門」ではなく、「14:命に通じる門」であることを知るだろう。詩編84:6「いかに幸いなことでしょう/あなたによって勇気を出し/心に広い道を見ている人は」。狭い門から栄光の道へと進もう。

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