説教要旨
    
6月20日 「貧しさが豊かさとなる」 大村 栄
             Ⅱコリント8:1~9  

◇パウロはマケドニア州にあるフィリピやテサロニケの教会について、「3:彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで、4:聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのでした」。それは迫害や災害によって疲弊したエルサレム教会への援助のことである。

◇経済的にゆとりがあってそうしたのではない。「2:彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったいうことです」。「激しい試練」が「満ち満ちた喜び」に、「極度の貧しさ」が「惜しまず施す豊かさ」になるという、常識では考えられない出来事だ。

◇「神と等しい者」でありながら「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」という主イエスの姿、そしてそれゆえに「キリストを高く上げ」た神(フィリピ書2:6~9)。ここに人間の常識を越えた、捧げて生きる生き方の勝利がある。

◇カナダ・メソジスト婦人伝道会の婦人たちは、編み物を教会のバザーで売り、乗り物代を倹約して歩き、そうして得た資金を日本伝道のため、特に東洋英和・静岡英和・山梨英和の女子キリスト教教育に捧げてくれた。そういう人々の、主にならって自分を捧げる「慈善の業と奉仕」によって日本伝道は行われた。

◇マケドニア州やカナダだけでなく、世界の教会が捧げる喜びを体験してきた。その人々の捧げ物によって教会は支えられ、各地で伝道が行われてきた。その捧げる喜びの根本は何か。「9:主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです」。主イエスの十字架の愛への応答、これこそがその根本である。

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