説教要旨
6月6日 「心も思いも一つにして」 大村 栄
使徒言行録2:32~5:11
◇「32:信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた」。初代教会は原始共産的共同生活を志した。だがその時代にはすでに個人生活が重んじられ、原始時代のような共同生活をすることは教会でも無理だった。そのことを象徴する事件が、アナニアとサフィラ夫妻の事件である。アナニアは自分たちの資産を売った代金の一部だけを捧げ、これが売上げの総額ですと偽った。
◇しかしペトロはその嘘が分かってアナニアを責めた。「「4:どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ」。5:この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた」。
◇アナニアの死後に妻のサフィラもペトロに問われて、神の前に真実を語るより、夫と口裏を合わせて虚偽を述べた。教会は神の目より人の目を気にするような集団となってはならない。
◇この夫婦は「罪悪感」「共犯者意識」によって結びついていた。しかし本来、誰もが神の前では「罪悪感」を持たざるを得ない。私たちは神に造られたのに、神の意に添わぬ生活を送る罪人だ。教会は神の前での罪悪感を共有する「罪人の共同体」である。
◇ペンテコステのペトロの説教(使徒言行録2章)で、神の子を十字架で殺してしまった罪を自覚し、恐れた人々は「どうしたらよいのか」とペトロに問い、「38:悔い改めなさい。...洗礼を受け、罪を赦していただきなさい」と勧められる。「罪人の共同体」である教会は、十字架の犠牲により「罪赦された罪人の共同体」なのだ。
◇神への恐れと、同時に十字架の贖いによって赦して下さる神の愛を知った信仰者の群れが、「心も思いも一つに」する教会である。
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