説教要旨
4月25日 「教会はキリストの体」 大村 栄
Ⅰコリント12:12~27
◇「27:あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です」。教会はキリストを頭とするその体である。この体には各部分があり、キリストの指示の元でそれぞれの機能を発揮する。同じ部分は一つもない。「21:目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず...」。それぞれの違いを比較して裁いてはならない。
◇「みんなちがって、みんないい」(金子みすゞ)。「18:神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれた」。神の愛によって配置されたものだから、神に喜ばれることを目標としたい。
◇兎と亀の競争で兎が負けたのは、亀の遅さをバカにしたから。逆に亀が勝ったのは、兎の早さを気にせず、ゴールだけを見ていたからだ。私たちは人生と歴史のゴールを用意して下さる神を見上げ、そこを目指して、精一杯に生きる「部分」でありたい。
◇教会でも色々な奉仕の役割分担がある。「28:奇跡を行う者、...病気をいやす賜物を持つ者...」。それぞれの奉仕は賜物に応じて行われる。しかし「31:もっと大きな賜物」を求めなさいとパウロは言う。それは13章で言う「愛」である。「2:たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい」。
◇この「愛の賛歌」は12章を受けて、教会のあり方を教えている。愛を生きることが教会をキリストの体とし、互いを部分として尊重し合う。それがパウロが言うところの「最高の道」なのだ。
◇「神を父とする者にとって、教会は母である」(カルヴァン)。「キリストの体」なる教会は、母の胎のごとき安らぎの場だ。そして教会は、新しい命を生みだす母胎でもある。それは肉体の死で終わらない永遠の命だ。教会では神の愛によって、新しく生まれ直すことが出来るのだ。この恵みを感謝して教会を守っていきたい。
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