説教要旨
    
4月4日 キリストの死と復活 大村 栄
          マタイ福音書28:1~10 (イースター)

◇日曜日の朝が明けると同時に、「1:マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った」。二人は金曜の午後3時に死んだ主イエスの遺体が墓に葬られ、大きな石で封印されるのを目撃した。翌土曜日には、ヘロデの番兵たちが厳重に墓の見張り番をしていた。だから彼女らは、復活を期待して行ったのでは決してない。

◇しかし大きな地震が起き、天使が墓石を動かすと中は空だった。女たちは天使の言葉によって、恐れを越えるものを得た。「(主イエスは)6:かねて言われていたとおり、復活なさったのだ」。主は3度ご自分の死と復活を予告していた。彼女たちはそれを思い出すことが出来たから、「8:恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った」。

◇その時、「9:イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われた」。信仰には「かねて言われていた」言葉を思い出す記憶力が必要だ。絶望の中にも聖書のみ言葉を思い出し、信じて立ち上がった者に、復活の主イエスが「おはよう」と呼び掛けて下さる。

◇だが人間の合理性や知恵がその信仰を阻む。実は十字架で死んだのは替え玉で、主は安全な場所に隠れていた。墓にある替え玉の死体を処分して本物が登場すれば、復活の英雄になれる。そのために弟子たちが死体を掘り起こしに来るだろう、とユダヤ人たちは考えて、番兵に厳重に墓を見晴らせたのだ。

◇だが弟子たちに始まる初代教会以来、キリスト者は死ななかった不滅の英雄イエスではなく、死んだイエスを主と仰ぐ。死んで陰府に身を置かれたことによって、そこも神の光の届く場所とされた。イースターに始まった「死と復活」を信じる信仰によって、絶望から希望へ、闇から光へと180度の方向転換を体験したい。

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