説教要旨
    3月21日 苦い杯を飲む 大村 栄
         マタイ福音書20:20~28

◇20:17-19で主イエスが三度目に受難と復活を予告された直後に、「20:ゼベダイの息子たちの母」が主イエスに言った、「21:王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください」。

◇これに対して主は「22:わたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか」と問うと、ヤコブとヨハネは「できます」と答えた。彼らは主が受難の後に復活され、天の王座に着くと信じるから、それを目指して死をも恐れず従います、との心意気で言ったのだ。

◇この二人はどんな「」(運命)を飲んだか。ヤコブは使徒言行録12:1によると12使徒で最初の殉教となる。ヨハネは十字架上の主イエスから母マリアを託され、高齢になるまで教会に仕えた。

◇「23:あなたがたはわたしの杯を飲むことになる」と言われた「」は一様ではないが、キリスト者が人生の使命として飲んでいくのだ。

◇「25:異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている」。ゼベダイの息子たちは地上を超えて天上での権力を望んだ。主は言われる、「26:偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、27:いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい」。「わたしの杯を飲め」と主イエスに託された人生は、獲得していく人生ではなく、仕える人生、自分を捧げていく人生である。

◇獲得指向型の人生には不満と不安があるが、常に私たちを誘惑する。そして自力でこれに勝利できる者はいない。主イエスは私たちをこの誘惑から解き放つため、自ら身代わりの犠牲として十字架につかれたのだ。「28:人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように」。
◇讃美歌519「主はいのちを惜しまず捨て、その身を裂き血を流した。この犠牲こそが人を生かす。その主に私はどう応えよう」。

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