説教要旨
    2月21日 苦難を耐え忍ぶ人 大村 栄
         ヤコブの手紙1:12~18

◇「12:試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです」。「試練」は外から襲ってくるもの。それを耐え忍ぶことによって、神から「命の冠」、すなわち「永遠の命」を頂くことが出来る。

◇「誘惑」は内側にわき出るもので試練とは違う。「13:誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。...14:人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです」。エデンの園で禁断の果実に手を伸ばしたアダムは、「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女(エバ)が、木から取って与えたので、食べました」と神と隣人に責任転嫁している。だが人間が誘惑に陥るのはあくまで本人の責任だ。

◇「15:欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます」。アダムの罪(原罪)の結果として人類に死が入り込んだ(ローマ5:12)。死は人間の罪に対する罰であるが、神は憐れんで、肉体の死の先に、それで終わらない「永遠の命」を備えて下さった。そのために神は独り子イエスに、十字架で私たちの罪の身代わりをさせて下さった。

◇「一人の人の不従順(アダムの罪)によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順(キリストの十字架)によって多くの人が正しい者とされるのです」(ローマ5:19)。

◇神は私たちをかくも愛すればこそ、試練を通して私たちを磨き、キリストの血によって罪を洗い流して、神への最上の供え物である「18:初穂」として下さるのだ。そのキリストのあがないのしるしである十字架を仰ぐ受難節に入った。最大の試練を受けて下さった主イエスに従って、私たちも「12:試練を耐え忍ぶ人は幸い」と互いに言い合えるような日々を歩んでいきたい。
 

日本キリスト教団 習志野教会    〒262-0044 千葉市花見川区長作町1630-14 

Mail : info@narashino-church.com  TEL&FAX 043-306-5766