説教要旨
2月14日 「なぜ疑ったのか」 大村 栄
マタイ福音書14:22~33
◇「22:イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせた」。だがその舟は陸から離れたところで嵐に悩まされていた。前にも弟子たちの舟が嵐に悩まされたが、そこには主イエスも乗っておられ、「主よ、助けてください」(8:25)と叫ぶと、主は嵐を叱って鎮められた。しかし今回は主は陸にいて同じ舟に乗っていない。
◇ところが「25:夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた」。そして言われた、「27:安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」。
◇マタイ福音書は「インマヌエル、神は我々と共におられる」(1:23)から始まり、最後の「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(28:20)まで「共にいます主」が一貫したテーマであり、それは聖書全体、キリスト教信仰の主題なのである。
◇ペトロは自分も「28:水の上を歩いてそちらに行かせてください」と願った。主は「29:来なさい」と招かれる。「30:しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけた」。招きを信じて歩みたいが、一方で現実は別だという冷めた思いがある。信仰と現実に心が割れた途端に水に沈む。疑いが信じる心を妨げるのである。
◇だが「31:イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた」。信仰の薄い、疑う者をも見捨てずに捕まえて下さる。そして一緒に舟に乗り込まれた。「共にいます主」を疑ったペトロが「信仰の薄い者よ」と言われたように、私たちも繰り返し不信仰を叱られなければならない。
◇しかし、主は疑いの荒波を乗り越えて私たちに近づき、共にいて下さる。キリストの乗って下さる舟に共に乗って、向こう岸の天国を目指して進む舟が教会であり、私たちは乗り込む群れである。
「イエスは波を踏みつけてこられた。そのようにイエスは人生にわき上がってくるすべての混乱を、
足の下に踏みつけられた。クリスチャンよ、どうして恐れるのか。」(アウグスティヌス)
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