説教要旨
1月31日 「腹を立ててはならない」
大村 栄 マタイによる福音書5:17~26
◇マタイ福音書5~7章は「山上の説教」だ。「17:わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」。「律法や預言者」とは「十戒」に始まる神の戒めとその伝承である。主は律法の形骸化を批判された。
◇「21:昔の人は「殺すな。人を殺した者は裁きを受ける」と命じられている。22:しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける」。十戒の第6戒「殺人の禁止」は命の尊重を命じる。神が管理する人の命を勝手に扱うのは神の主権の侵害であり反逆である。また同時に、腹を立て、殺意を抱くほどの憎しみの心が自分にないかどうか、内面が問われている。「人は外の顔かたちを見、主は心を見る」(サムエル記上16:7、口語訳)。
◇「23:あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、24:その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい」。兄弟との対立があるならば、礼拝よりも「まず行って兄弟と仲直り」をせよと言う。それは礼拝の軽視ではない。和解の努力をせずに神の前に立つことこそが礼拝への冒涜である。
◇しかし同時に礼拝は、神と人との和解をとりもって下さる主の十字架を仰ぐ時だ。和解の主イエスを中心とする礼拝によって、弱い私たちを、兄弟との和解に努める者へと変えて頂きたい。
◇主は律法の精神を、神を愛し、人を愛することに集約され(マタイ22:36-40)、その精神の実行について山上の説教の後半で、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である」(7:12)と言われた。積極的な愛の実践こそが律法の本質であり、神の戒めの究極なのである。
日本キリスト教団 習志野教会 〒262-0044 千葉市花見川区長作町1630-14
Mail : info@narashino-church.com TEL&FAX 043-306-5766