説教要旨
1月3日 「備えたもう主の道を」 新年礼拝
大村 栄 申命記1:34~46
◇シナイ山で十戒を頂いた後、民は「19:広くて恐ろしい荒れ野を通り、アモリ人の山地に至る道を、カデシュ・バルネアまで来た」(聖書巻末の地図②参照)。神はさらに前へ進めと命じておられる。「26:しかし、あなたたちは上って行こうとはせず、あなたたちの神、主の命令に逆らって、27:天幕にとどまって不平を言い合った」。
◇それは派遣した12人の偵察隊の中に「我々が見た民は皆、巨人だった」(民数記13:32)などと悪い情報を流す者がいて、それを信じた者たちが怯えて、神への不信におちいったのだ。
◇神はこれを憤って、背く者は誰も約束の地に入らせないと宣告され、「40:あなたたちは向きを変え、...荒れ野に向けて出発しなさい」と命じられた。これはあの「恐ろしい荒れ野」に戻れということである。民は焦って叫ぶ、「41:我々は主に対して罪を犯しました。我々は攻め上って、我々の神、主が命じられたように戦います」。主の命に反して、向きを変えず、武器を持ってアモリ人の地に攻め込もうとした。
◇しかし神は甘くはない。「42:わたしはあなたたちのうちにいない」と言われ、その結果、イスラエルの民はアモリ人の迎え撃ちにあって惨敗した。「45:主の前で泣いたが、主はあなたたちの声に耳を傾けず、聞こうとされなかった」。
◇本当に反省するなら、民は神の指示通りに「40:向きを変え」て退却するべきだった。神への悔い改めは、自分の思う方向への前進をやめて、いったん退却して次なる神の指示を待つことである。時には退却先にずっといたいと願うこともあるが、それが目的地への旅を阻むならば、勇気をもって立ち上がり、新たに出発すべきである。
◇「目標を目指してひたすら走ること」(フィリピ3:14)とは自分の道を行くことではない。「備えたもう主の道を、ふみて行かん、ひとすじに」(讃美歌463)、それが信仰者の生涯なのである。
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