説教要旨
    12月13日 「来たるべき方は、あなたでしょうか」
       大村 栄  マタイ福音書11:2~19   

◇獄中にいたバプテスマのヨハネは、ナザレのイエスが救世主だろかと期待し、「3:来るべき方は、あなたでしょうか、それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」と問い合わせた。

◇すると主はこの問いに直接答えないで「4:行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい」とヨハネの弟子たちに命じる。それは「5:目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、...死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」という「事実」だ。

◇これはイザヤ35章の引用だが、奇跡的な癒やしの預言だけではない。神を知り、キリストと出会った人が新たに変えられるという「事実」である。福音とは教理や教説である以上に、そのような「事実」であり、それを信じるのが信仰である。

◇主イエスはヨハネがメシアを指し示した使者としての働きを高く評価したが、続けて「11:天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である」とも言われる。天国で評価されるのは、彼のように「3:来るべき方は、あなたでしょうか」と疑う者ではなく、信じて受け入れる人だ。

◇受胎告知を受けたマリアも始めは疑ったが、「神にできないことは何一つない」との天使の言葉に動かされて、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1:38)と信じて受け入れた。この素直な信仰が、偉大なる未来を開く鍵となった。

◇ヨハネと主イエスの宣教の第一声は、共に「悔い改めよ。天の国は近づいた」だった(マタイ3:2,4:17)。この世界に神の直接的関与が始まっている。だが「16:今の時代」はそれによる新しい「事実」を受けとめようとしない。ことわざにもなっている17節以下の「笛吹けど踊らず」は、日本の「はないちもんめ」に似た子供の遊び歌で、拒絶的な世相を表している。

◇しかし「19:知恵(神の言葉)の正しさは、その働きによって証明される」。ルカ7:35の並行記事では「それに従うすべての人によって証明される」。私たちは疑いや拒絶をしずめられ、マリアに習って神の言葉を信じて従い、クリスマスに始まったキリストによる恵みの「事実」を証しする者とされたい。

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