説教要旨
    11月8日 「目を上げて」 大村 栄牧師
                 創世記13:1~18

◇アブラム(後のアブラハム)はエジプトに滞在中、王が妻サライに目を付けるのを恐れて、彼女を妻ではなくて妹だと偽って自分を守ろうとした。それは妻を裏切り、神に背く行為だったが、神はここでは沈黙されたままだった。
◇カナン地方に戻ったアブラムはベテルへ赴く。「4:そこは、彼が最初に祭壇を築いて、主の御名を呼んだ場所であった」。最初にカナンに踏み入れた際に、礼拝を捧げた地である。ここで信仰の原点に立ち帰り、もう一度、神の御心に従う道に踏みだそうとしたのだ。
◇アブラムとロトは互いの所帯が拡大したため、別れて暮らすことになった。アブラムはロトに行き先の選択権を明け渡す。ロトは当然、良い方である「10:ヨルダン川流域の低地一帯」を選んだ。だがそこにある罪の町ソドムとゴモラは、後に神によって滅ぼされる。
◇ロトと別れて独りになったアブラムに神が言われた。「14:さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい」。彼はうつむいていたのだろう。エジプトでの苦い経験から、アブラムは悔い改めて、うつむかずにおれなかった。神はそれを待っておられたのかも知れない。「15:見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える」と豊かな祝福を彼に与えられた。
◇「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから」(詩編121:1-2)。目を上げて山の彼方の神を仰ぐ時、暗い谷間をさまよう自分の足元が照らされ、進むべき道が示されるのだ。
◇「悲しみに潤されて、人は永遠を思います」(矢内原忠雄)。自分の罪を悲しみ、うなだれていた者が、「目を上げなさい」と言われて永遠なる神を見上げ、そこに助けがあることを知る。それが礼拝という、私たちの信仰の原点における体験なのである。
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 悲しみのない人生は、晴天続きの都会のように、乾燥し過ぎてほこりが立つ。悲しみは人生のうるおひです。悲しみに潤されて、人は永遠を思います。悲しみは永遠の窓であります。悲しみから見た人生に永遠の薫りがあります。此の世にこびり着いて離れ難き人の目を、神に向ひ永遠に向って開くものは悲しみであります。
                     矢内原忠雄(1893­~1961)  無教会キリスト者・元東大総長

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