説教要旨
11月1日 「外側はきれいでも」 大村 栄牧師
マタイ福音書23:25~36 (召天者記念日礼拝)
◇「27:律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。28:このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている」。内面は見えないから、外面を飾って評価されようとする愚かさ。自分の内面と外面の矛盾が見えていないのだ。
◇墓は汚れた場所だとされていたが、主イエスの十字架と復活、昇天によって、天国への入り口、希望の門となった。柏市のラザロ霊園にある習志野教会墓地では、墓石に「幸いなるかな 心の貧しき者 天国はその人のもの也」(マタイ5:3)と書かれている。墓は人生の終着駅ではない。夜の先に朝が来るように、冬の先に春が来るように、死の先に天国での新しいいのちがある。私たちは墓を、そのような天国を信じ、未来を信じる場としたいものだ。
◇「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために」(Ⅱコリント4:7)。土の器のように無価値な私たちだが、その内側に、神から与えられる「信仰」というかけがえのない「宝」を納めることが出来る。
◇「敬神愛人」に集約され(マタイ22:34~40)、死後に天国の幸いがあると信じる信仰を「宝」として内側に持つならば、それは自ずから「土の器」である私たちの生活に、平安や希望、信頼や勇気をもたらすのだ。◇「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」(Ⅱコリント4:18)。目に見える外面を整えること以上に、見えないが永遠に存続する信仰という宝を内面に持とう。
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