説教要旨
10月11日 「ラザロの復活」 大村 栄牧師
ヨハネ福音書11:1~16
◇エルサレムから3㎞ほどのベタニヤに、マルタとマリア、弟のラザロの3人が住んでいた。ラザロが病気だと聞いた主イエスは、「4:この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである」と言う。
◇シロアムの池では、生まれつきの盲人について、障害の理由を問われた主イエスは、前世の因果などではない、「神の業がこの人に現れるためである」(ヨハネ9:3)と答えた。ラザロの病気もそれと同じく「神の栄光のため」という目的があるのだと言う。
◇しかしやがてラザロは死んでしまった。「17:イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた」。姉のマルタが「21:主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と非難めいた言い方をする。
◇しかし主は言われる、「25:わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。26:生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」。キリストを信じ、主と共に生きる者は、肉体の死を越えた新しい永遠の命を生きる者とされるのだ。
◇ラザロの墓で泣く人々に対して、主は「33:心に憤りを覚え、興奮し」、さらに「35:イエスは涙を流された」。これは悲しみの涙ではない。「37:盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と、失望している人々への憤りと嘆きの涙である。
◇主が「43:ラザロ、出て来なさい」と大声で叫び、彼は生き返った。このように一人一人の人生に生まれ変わりを起こすために、主イエスは十字架への道を歩まれた。それが「信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得る」(ヨハネ3:16)という神の愛の実践であり、「4:神の子がそれによって栄光を受けるのである」という目的の実現だったのである。
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