説教要旨
    9月27日 「なぜ、主を試すのか」 大村 栄牧師
           出エジプト記17:1~7

◇出エジプトの途上イスラエルの民は水不足という試練に直面し、「3:なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか」とモーセに不平を言う。かつてはエジプトの奴隷からの救出を神に求めたのに、荒れ野でこんな苦労をするくらいなら、以前の方がましだったとぼやく。

◇共同体が新しいことに挑戦する時には、とかくそんなぼやきが聞かれるものだ。だが、より良いものを求めて前進しなくなった集団は力を失い、死に体となっていく。私たちの教会はそうであってはならない。

◇モーセは神に「4:この民をどうすればよいのですか」と嘆くと、「5:ナイル川を打った杖で」、「6:ホレブの岩」を打てと言われる。かつてナイルの水を血に変えた杖だ(出7:14以下)。打つと岩から水が出て飲むことができた。神はこのように民の不平を聞き、要求に応えて下さった。

◇だがモーセは、「2:なぜ、主を試すのか」と民を叱責する。彼らは苦難に直面すると、「7:果たして、主は我々の間におられるのか」と疑い、神が本当に約束の地へ導いて下さると言うなら、食べ物(マナ)や水をくれ、そうしたら神を信じようと、主を試すのだ。

◇マタイ4:5-7で「5:神の子なら、飛び降りたらどうだ」とささやく悪魔に、主イエスは「7:あなたの神である主を試してはならない」と言って、神の力を自分のために利用する誘惑をはねのけた。

◇神様がいるから何でも大丈夫と豪語するのは、神を自分のために利用させようとする悪魔の誘惑への敗北である。失敗したらそれは信仰が足りなかったからだと、人や自分を裁いたりする。それは聖書の信仰ではない。

◇荒れ野の旅は神を試すためではない。むしろ神に試されるための旅だった。だがこれは一人旅ではない。共に進む信仰共同体としての教会がある。人生の最後に約束の地に入る日まで、荒れ野の旅を神に従い、信仰と信頼をもって、ご一緒に歩んでまいりたい。

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