説教要旨
8月2日 「分かち合って生きる」 平和聖日
ヨハネ福音書6:1~15 大村 栄牧師
◇ガリラヤ湖畔で男だけで5000人もの群衆を養うには食糧が足りなかった。その時弟子のアンデレが「9:ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」と嘆いた。
◇だが主イエスはその少年の「11:パンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた」。そして「12:人々が満腹した」という。その少年が自分の弁当を差し出す行為を見て、他の者たちも各自の弁当を提供したのかも知れない。自分だけに「独占」していたら足りないが、分かち合った時に、主イエスによる奇跡が起こったのである。
◇だがもっと大事なのは、主が「11:パンを取り、感謝の祈りを唱えてから」配分したということだ。「ゲッセマネの祈り」で主は「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と祈られた(マルコ14:36)。神による説得があったのではない。主は不安と孤独に苦しみながら、祈って自ら心を決めた。理解することより、信じることが、祈りを通して与えられるのだ。
◇ゲッセマネで主は苦難の中からの解放を求めたが、祈りの中で信頼へと到達した。ガリラヤ湖畔でも、わずかな食物しかないという困窮から、しかしこれは神の与えて下さったものだと感謝を祈った時に、かつて人類史上に貧困や飢餓や格差をもたらしてきたうな不正な「独占」を超えた、正しい「分配」が起こったのである。
◇「主の祈り」は「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」と祈る(マタイ6:11)。「わたしだけに必要な糧」ではない。世界の各地で飢えに苦しみ、傷つき悩む人々を含む「わたしたち」なのである。
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