説教要旨
7月5日 「遠く離れていたが、今や」
エフェソの信徒への手紙2:11~22 大村 栄牧師
◇ エフェソは異邦人(非ユダヤ人)の町だが、そこにパウロの伝道によって生まれた信徒たちがいた。選民意識を持つユダヤ人らは、異邦人は神から遠い存在で、自分たちより劣ると見下していた。
◇だが「13:あなたがた(異邦人)は、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです」。神に遠かった者が十字架の犠牲により、近い者とされた。「14:キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、...」。
◇この世のあらゆるところに「敵意(や差別や排除)という隔ての壁」がある。この壁を打ち壊すのは交渉や暴力ではなく、尊い犠牲によるのだ。キリストが「16:十字架によって敵意を滅ぼされました」。
◇これによって「19:あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族」とされた。罪に満ちた人間を家族に迎えるのは、神にとっても痛みを伴うことだったに違いない。その痛みが一人子に担わされた。み子の痛ましい執り成しによって、私たちは「神の家族」となることが許されたのだ。
◇「イエスは大声を出して息を引き取られた。すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた」(マルコ福音書15:37-38)。この神殿の垂れ幕は、エルサレムの神殿の一番奥にある、聖職者だけが入れる聖域を仕切る幕で、「隔ての壁」の究極だった。それが主イエスの十字架の死によって、真っ二つに裂けたのだ。
◇コロナ感染防止のため、ソーシャル・ディスタンス(社会的距離)という、人と人との衛生的な距離を考える時代になった。だがそれを遠ざけることに慎重になるあまり、十字架によって神と人、人と人との、一番大事な距離が近くされたことを忘れないでいよう。
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