説教要旨
6月28日 「今がその時である」
ヨハネ福音書4:7~15 大村 栄牧師
◇「6:正午ごろ」、主イエスが座っていた井戸に「7:サマリアの女が水をくみに来た」。主は女に「7:水を飲ませて下さい」と頼んだ。
◇対立するユダヤ人男性が自分に水を求めるのは異様に思ったが、対話する中で、彼女が人目を避けて、炎天下に水汲みに出る理由を言い当てられたのでショックを受けた。何度も再婚して、今また別の男と同棲している。だから不品行な女だと言われている。
◇だがこの主イエスとの対話を通して自分を直視し、罪の赦しと救いを与えて下さる神に出会う「礼拝」を必要とし、求めている自分に気づく。
◇今コロナウイルスの中で、教会は礼拝を通常の形で出来ない。日本基督教団は3月5日に教団議長名で、礼拝における衛生管理などの注意や分散形式の勧めを通知したが、その中に、「教会が礼拝をささげない(中止する)ということはありません」とあった。
◇今こそ礼拝が求められている。「23:まことの礼拝をする者たちが、霊と真実をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である」。
◇一方カトリック教会は3月15日に東京教区の信徒に、「主日のミサにあずかる義務を免除し」、「当面はミサを中止します」と告げた。「義務の免除」とは少々抵抗を感じたが、確かに礼拝は、人間の自由な意志や要求だけで成り立つものではないとも言える。
◇「23:なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ」。神の求め(招き)によって礼拝は招集される。教団議長も「礼拝は神への捧げ物」と言う。礼拝は神に対する人間の感謝の供え物であり、私たちにはそれを捧げる義務(責任)がある。
◇神の求め(招き)と人間の求め(応答責任)が呼応して、「今がその時である」という礼拝の時が実現するのだ。この時を詩編の詩人と共に「いかに幸いなことでしょう」(84:6)と感謝したい。
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