説教要旨
6月21日 「この人を見よ」
ヨハネ福音書3:22~30 大村 栄牧師
◇この箇所の小見出しは「イエスと洗礼者ヨハネ」。その二人がそれぞれ民衆に神の言葉を語り、バプテスマを授けていた。ヨハネの弟子たちは「26:みんながあの人(主イエス)の方へ行っています」とイエスに対する妬みのような言葉を口にする。
◇しかしヨハネは、「27:天から与えられなければ、人は何も受けることができない」と言う。自分の「役割」は自分で決めるものではなく、神から与えられる「使命」なのだ。そして彼は自分の役割について述べる。「28:自分はメシア(救い主)ではない、...自分はあの方の前に遣わされた者だ」。
◇自分が神から与えられた役割は、後から来るキリストのために道を整えること。それは救いを求める者たちに罪の悔い改めを促すことだ。だが罪を赦すのは彼の役割ではない。それは人々の罪を身代わりに負い、十字架で死なれたキリストのなさることだ。
◇「29:花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている」。「花嫁」は悔い改めて救いを待つ者たち、「花婿」は彼らに罪の赦しと救いをもたらすキリスト、「介添人」はヨハネである。花婿が花嫁を迎えに来て介添人の役割は終わる。
◇自分は「この人を見よ」(讃美歌280)と罪を赦す救い主キリストを指し示してきた。今その方が花婿のように、花嫁であるあなた方を迎えに来られた。その招きに応えなさい。「30:あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」。そう言い残してヨハネは去るのだ。
◇私たちは「この人を見よ」とキリストを指し示す信仰の羅針盤を持つ者であり、教会である。そしてその羅針盤が示す方向に、人生で最良の目標があり、方向があることを信じて進みたい。
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