説教要旨
    6月14日 「新たに生まれなければ」
       ヨハネ福音書14:8~17 大村 栄牧師

◇最高法院の議員でファリサイ派のニコデモが、人目を忍んで夜に主イエスを訪ねてきた。主は彼の心を見抜いて、いきなり言われた。「3:はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」。ニコデモは「先生、どうすれば神の国(天国)を見ることが出来るのでしょうか」と尋ねたくて来たのだ。

◇「神の国」(天国)に行くこと、永遠の生命を生きること。それは人生の究極の目標とすべきことである。そのためには、「3:新たに生まれなければ」ならないと言われて、ニコデモは「4:年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか」と問うた。

◇すると主は言われた。「5:だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」。新たに生まれるとは、妊娠出産のことではない。「水」は洗礼の水のこと。洗礼は信仰の出発だが、それだけでは信仰から離れかねない。「霊によって生まれる」体験もさらに必要だ。聖霊はアダムに吹き入れられた命の息である。エゼキエル書では、枯れた骨に吹き込まれてこれを生き返らせた。

◇聖霊は風でもある。「8:風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである」。風は見えないが、風に揺らぐ木々は見える。聖霊も目には見えないが、それによって変えられ、新たに生かされる人間が見える。それが「聖霊体験」である。

◇水のバプテスマは生涯に一度だけだが、聖霊のバプテスマは礼拝や祈りにおいて繰り返し体験する。それらによって、ニコデモも望んだ「神の国(天国)」という究極の目標に近づいて行くのだ。

◇「風立ちぬ、いざ生きめやも」(堀 辰雄)。

日本キリスト教団 習志野教会    〒262-0044 千葉市花見川区長作町1630-14 

Mail : info@narashino-church.com  TEL&FAX 043-306-5766