説教要旨 5月10日
「愛の実を結ぶ」 大村 栄牧師
ガラテヤ書5:13~26
◇キリスト者は、「何人にも従属しない」という罪からの自由を得ると共に、「すべてのものに奉仕する」という隣人愛への派遣を受ける(ルター『キリスト者の自由』より)。それが聖書全体の基本的な戒めなのだ。「14:律法(聖書)全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからだ」。
◇16節以下は小見出し「霊の実と肉の業」の対立である。「肉」とは一言で言うと<自己中心>、「霊」は<神中心>である。「19:肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、20:偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、21:ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです」。これらは共同体の秩序を乱し、人間関係を破壊する。それらにおちいらず、「16:霊の導きに従って歩みなさい」と命じられている。
◇「霊の実」とは何か。「22:霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、23:柔和、節制です」。「日本基督教団信仰告白」(1954)に「聖霊は我らを潔めて義の果(み)を結ばしめ、その御業を成就したまふ」。諸教派が合同して成立した教団が「信仰告白」を制定する際に、前述「義の果」の部分の挿入を要望したのは旧メソジスト派だった。メソジストの特徴は伝道と共に、教育や社会福祉にも熱心であること。日本でも青山学院や東洋英和を建て、児童養護施設などの福祉事業も行った。これはメソジストに限らず、一般的な教会の宣教活動の特徴である。
◇「霊の実(義の果)」を結ばせるとは、信仰が愛のわざの実践にひろがっていくことだ。共同体(教会も)の一致を乱し、人間性を破壊する「肉の業(自己中心)」から解放され、本当の「キリスト者の自由」を生き、愛のわざに励む者でありたい。
◇「祈りの実は信仰、信仰の実は愛、愛の実は奉仕、奉仕の実は平和」(マザー・テレサ)。
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