説教要旨  5月3日
     「愛の限界」 大村 栄牧師
           ヨハネ福音書21:15~25

◇復活の主イエスはペトロに、「15:わたしを愛しているか」と3度も問われた。「愛」は神の愛を表す言葉、ギリシア語でアガペー。神はイスラエルを選び、アブラハムと契約を交わしたゆえに、民の不信仰にも関わらず、慈しまれた。選んだゆえに、相手に変化が起ころうと、愛し続ける絶対的な愛、これがアガペーである。

◇ペトロはその問いに、「はい」と胸を張って答えられない。彼はイエスが逮捕された夜、「お前もあの男の弟子だろう」と言われて、3度も「違う、知らない」と否定してしまったからだ。

◇彼は「15:主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」。ペトロは「愛」をアガペーでなくフィリアと言う。それは「兄弟愛、人類愛」など、理由を必要とする相対的な愛だ。主を変わらず愛し続けられなかったペトロだから、「アガペー」ではなく、「フィリアしかできません」と答えるしかなかった。

◇しかし何と、3度目には主イエスも「アガペーするか?」ではなく、「フィリアするか?」と言い換えている。絶対的な愛を実行できない弱きペトロに、主イエスは自ら低くなって、彼の愛の限界を赦し、「わたしの小羊を飼いなさい」と伝道を委託されたのである。

◇続いて主はペトロの殉教の死を予告された。彼が「19:どのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示」すためである。そして「19:わたしに従いなさい」と言われる。キリストに従う生き方は、死に方においてさえ、「神の栄光を現す」ものとなるのだ。

◇周囲を見回したり、他者と比較したりする必要はない。「神が置いてくださったところで咲きなさい。仕方がないと諦めてでなく『咲く』のです」(藤木正三)。そのように「咲く」ことがそれぞれの生き方、死に方で「神の栄光を現す」道だと言えるだろう。

   神が置いてくださったところで咲きなさい。
   仕方がないと諦めてでなく「咲く」のです。
   「咲く」ということは 自分が幸せに生き
   他人も幸せにするということです。
   「咲く」ということは
   周囲の人々にあなたの笑顔が
   私は幸せなのだということを
   示して生きるということなのです。   藤木正三

日本キリスト教団 習志野教会    〒262-0044 千葉市花見川区長作町1630-14 

Mail : info@narashino-church.com  TEL&FAX 043-306-5766