説教要旨  月26
     「夜明けは近い」 大村 栄牧師
           ヨハネ福音書21:1~14

◇主イエスを十字架に失った弟子たちは故郷で漁師に戻っていた。そこは当時ガリラヤ湖でなく第2代ローマ皇帝の名から「1:ティベリアス湖」と呼ばれていた。ローマの占領政策が厳しくなっていく頃だったのだ。

◇彼らはいつものように夜の漁に出掛けた。「3:しかし、その夜は何もとれなかった」。この不漁はその時代の暗さを象徴すると共に、弟子たちの苦悩も思わせる。かつてこの湖で「人間をとる漁師にしよう」と招かれた彼らは、青春を捧げ、主の手足となって伝道に励んだ。しかし主イエスは十字架で処刑された。しかも自分たちはそんな受難に遭われる先生を見捨てて逃げてしまった。この夜の不漁は、そういう彼らの悲しみや悔恨をも象徴しているようだ。

◇暗い気持ちで船を岸に近づけると、夜明けの薄明かりの中に、復活の主イエスが立っておられたが、まだ誰もそれと気づかない。「6:舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」と言われて打ってみると、網があがらないほどの大漁だった。その人の言葉を信じて、行動して主イエスだと分かった。分かってから信じるのではない。信仰には信じて行動する勇気と決断が必要だ。

◇皆が岸に上がると食事が用意されており「12:さあ、来て、朝の食事をしなさい」と主が招かれる。彼らは恐る恐る、しかし懐かしいイエス様と共に、朝日の中で喜びの食卓を囲んだことだろう。

◇時代の闇を超えて、主イエスを見捨てた彼らの弱さも超えて、復活の主が共に歩んで下さる新しい朝が来た。「泣きながら夜を過ごす人にも、喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる」(詩編30:6)。

◇そして彼らはさらに「網を打ちなさい」と伝道へ派遣される。世界が神の恵みに包まれる日を目指して。「やがて時は来たる、平和の光の、くまなく世を照らす、明日はきたる」(讃美歌403)。

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