説教要旨 4月5日(棕櫚の主日)
「主の山に備えあり」 大村 栄牧師
創世記22:1~18
「主の山に備えあり」 大村 栄牧師
創世記22:1~18
◇アブラハムは神から「2:愛する独り子イサクを...焼き尽くす献げ物としてささげなさい」と命じられ、苦しみつつそれに従った。山の上で薪を並べ、その上に寝かせたイサクに刃物を突き立てようとしたその時に、主の使いが「待った」を掛けるが、彼はそれを期待していたのではない。理屈で納得してここまで行動したのではない。ただ、神がそうせよと命じたから愚直に従ったのだ。
◇「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」(ローマ4:3)。どういう神だからではない。神が神であるなら、信じて従うのが自分の生きる道だと決めていた。「滅私奉公」というのは自分を無にして仕えることだ。ただ自分の奉仕が求められている、だから捧げるのだ。彼は「信仰の父アブラハム」と呼ばれるより、愚直に従う「奉仕者アブラハム」と呼ばれるべきだ。
◇彼にとってのイサクのように、神もその愛する独り子イエスを犠牲に捧げられた。そしてそれによって世に救いを与えられた。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)。世を愛し、世に奉仕して下さった神の愛によって、この世界には「永遠の命」の救いと、それへの希望が与えられた。
◇私たちは今コロナウイルスの不安の中にいる。しかし自ら造られた世界を喜ばれた神は、この感染に悩む世界を見捨てはしない。もっと感染者・死者は出るかも知れない。私たちもどうなるか分からない。しかし死が終わりではなくなったことは確実だ。
◇そのために独り子イエスを、今日エルサレムに入城させて下さった神への感謝(ユーカリスト=聖礼典)と奉仕(サービス)を捧げよう。礼拝は神への最大の奉仕であり、感謝の献げ物である。
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