説教要旨  3月15日
     「永遠の命の言葉」 大村 栄牧師
           ヨハネ福音書6:60~71

◇パン5つと魚2匹だけでは「9:何の役にも立たないでしょう」と言っている弟子たちを前に、「11:イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた」。その結果5000人もの人々が満腹になって、なお余りが出た。

◇感激して主イエスを王に祭り上げようとする群衆に対して主は、「27:朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」と言い、また「35:わたしが命のパンである」と言われた。食物を求めて主イエスを追ってきた人々は失望し、「66:弟子たち(12使徒とは別)の多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった」。

◇最後の晩餐で主イエスは言われた「これは、あなたがたのためのわたしの体である」(Ⅰコリント11:24)。以来、聖餐式においてキリストの体(を象徴するパン)を食べ、血(を象徴するぶどう酒)を飲んでいる教会への批判に対するヨハネの弁明が6章全体の記事だ。

◇「63:わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である」。「9:何の役にも立たない」とつぶやく人々の前で、「感謝の祈り」を捧げることを通して、そこには豊かな恵みがあったことを示された。それがキリストの「霊であり、命である」言葉、すなわち<永遠の命の言葉>である。

◇「感謝(の祈り)」はギリシア語でユーカリスティア。それは聖餐を意味する言葉でもある。聖餐とはキリストを受け入れ、「感謝の祈り」を生きること、すなわち神が最善をなして下さることを信頼し、その神の支配に委ねることである。

◇主イエスの元を離れ去った人々は、この神への感謝と信頼が持てなかった。その中には後に主イエスを裏切るユダもいた。私たちも信頼と信仰に徹することが出来ず、感謝よりも嘆きが絶えない。キリストの捧げた「感謝の祈り」を共に捧げ、神の霊と命とにあずかりたいものである。

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