説教要旨  2月16日
     「床をかついで歩きなさい」 大村 栄牧師
             ヨハネ福音書5:1~9a

◇ベトザタの池で「水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされた」(挿入文、P212)。真っ先に水に入るのは病人の中でも比較的元気な者。病の重い人々はいつまでも待たされた。そういう不公平な現実が私たちの身の回りにもある。

◇「5:三十八年も病気で苦しんでいる」男に主イエスは近付き、「6:良くなりたいのか」と訊かれた。絶望が長期間継続するとそれに慣れて諦めてしまう。そんな状態の彼に、主は自分自身の意志を取り戻させようとされた。

◇しかし彼の答えは心の屈折を表している。「7:主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです」。誰も助けてくれないと甘えている彼に、主イエスは「8:起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」と命じた。諦めず、人に頼らず、人のせいにせず、自分で歩けと言われる。そしてその言葉に従った時に彼は歩けた。

◇幼児期の他律的な生き方から、成長と共に人は自律的になる。他律から自律に至るその中間に、神に委ねる「神律」というプロセスがあると聖書は語る。それは弱い態度ではない。「苦しい時の神頼み」的なずるさとも違う。目に見えない神への深い信頼と、それに伴う勇気と決断、これらが人に真の「自律」をもたらすのだ。

◇「8:床を担いで歩きなさい」。長年、自分を縛り付けてきた「床」という苦しい現実を放り出すのではなく、逆にそれを背負って歩くことが出来る自分になること、それがキリストによる新しい出発である。

◇「自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(マタイ16:24)と主は招かれる。この十字架を「試練」と読み替えることができる。「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(Ⅰコリント10:13)。

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