説教要旨 1月26日
「悲しみは喜びに」 大村 栄牧師
ヨハネ福音書2:1~12
「悲しみは喜びに」 大村 栄牧師
ヨハネ福音書2:1~12
◇婚宴に欠かせないぶどう酒がなくなってしまった。母マリアが主イエスに嘆いたが、主は「4:婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」と冷たい拒絶だ。
しかしマリアは召使いたちに「5:この人が何か言いつけたら、その通りにして下さい」と言った。自分の要求を通そうとするのでなく、主に委ねる時ときに、偉大な神のみ業が現される。
◇そこには大量の水を入れるかめがあった。この水は汚れを祓う「清め」に用いるものだ。汚れた物や人は遠ざけられる。主はかめを水で満杯にさせ、その水を、裁きの水から喜びの酒に変えられた。味見をした宴会の世話役が、驚いて花婿に言った。「10:あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました」。キリストと共に生きる生涯は、終わりほど良い。地上の終わりのさらに先には天国がある。
◇世話役はこの事態を不思議がったが、「9:水をくんだ召使いたちは知っていた」。水くみはきつい仕事だ。不平や不満もあったろう。しかしそのきつい仕事を終えた時に、大きな奇跡が起こったのだ。先週の一日修養会で伊藤瑞男先生の引用された「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である」(ルカ16:10)を連想する。
◇「4:わたしの時はまだ来ていません」と言われたが、「人の子が栄光を受ける時が来た」(12:24)と言われる時が来る。それは十字架と復活(苦難と栄光)への道に踏み出す時だ。その道への歩みの「11:最初のしるし」として、水をぶどう酒に変える奇跡を、主イエスはカナの婚宴で実行されたのだ。
◇そのために用いられた者たちの働きは、教会の奉仕に似ている。あの水汲みの僕たちの働きを用いて下さった主イエスが、私たちの小さな奉仕をも用いて、「悲しみを喜びに」変え(ヨハネ16:20)、「終わりほど良い」という栄光を最後に現わして下さるに違いない。
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