説教要旨

1月5日・新年礼拝

  「馬小屋のかげに」 牧師 大村 栄
       マタイ福音書2:13~18

◇以前清水教会に仕えていた時に、「清水市民クリスマス」にゲストとして、カトリックの渡辺和子シスターを迎えたことがある。渡辺先生はみ子の寝かされた馬ぶねの上に、大きな十字架の影がかかる絵について語られた。それは、この幼な子がやがて十字架にかかって「死ぬために生まれた」ことを表している。

◇今日の箇所はヘロデによる「嬰児虐殺」と呼ばれる。ヘロデは博士たちの訪問の目的を知って、「16:ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた」。キリストがベツレヘムに生れなければ、あの子供たちは死なないで済んだ。クリスマスの周りには何とも言えない暗さがある。だがそれはクリスマスの輝きを鈍くさせるものではなく、この暗さの中に光があるという事実にこそ、クリスマスの意味があるのだ。

◇讃美歌273「この聖き夜に、われらに代わりて苦しみ負うため、御子は生まれたもう。この夜、世界はよろこび祝えど、馬小屋の御子のゆくては十字架。キリエレイソン(憐れみたまえ)」。

◇渡辺シスターは、「私たちもみんな、死ぬために生まれました」と言われた。それは最期の死のことではない。生涯にいくつもの小さな死を繰り返し、その都度キリストによってよみがえっていく。苦しい時にそう言いたい自分に死んで、苦しいと言わずに忍耐する。しかしその「小さな死」が、キリストの復活によって新しい「命」を得る。それが十字架のかげに生きる者の生き方である。

◇ヘロデの狂気的な暴力は、神の子の誕生が世界の苦悩のただ中に起こった出来事であったことを象徴している。「馬小屋のかげに」十字架を見ることによって、神が深い愛をもって世界と私たちを癒そうとして下さっていることを知り、それを静かに深く味わいたい。

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