説教要旨
11月3日
「独り子をお与えになったほどに」 牧師 大村 栄
ヨハネによる福音書3:13~21
「独り子をお与えになったほどに」 牧師 大村 栄
ヨハネによる福音書3:13~21
◇先週の10月31日は宗教改革記念日だった。宗教改革は1517年のこの日、マルチン・ルターによるローマ・カトリックの「免罪符」販売批判などから始まった。免罪符購入などによらない天国への道を示す「聖書のみ」、行為ではなく「信仰のみ」。この2点に宗教改革は集約される。
◇「14:モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。15:それは信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである」。出エジプト時に人々が神に不平を言った時、災いが起こった。彼らが赦しを願ったところ、モーセが青銅の蛇を旗竿の先に掲げ、これを仰ぐと死の災いを免れた。それと同様に、十字架上の主イエスを仰ぎ見るとき、死は滅びではなくなる。決して免罪符購入や追善供養などによってではない。
◇「16:神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。この言葉が本当に分かるのは、独り子を差し出した「神の痛み」に連なる時ではないか。
◇アブラハムは高齢でやっと与えられた息子イサクを、モリヤの山で「焼きつくす捧げ物としてささげなさい」(創世記22:2)と命じられた時に、「主の備え」を信じて黙って従った。それが「12:あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった」と評価されてアブラハムは子孫まで祝されると約束された。
◇自分を焼きつくす薪のたばを背負ってモリヤの山を昇るイサクと、ご自分がはりつけになる十字架を背負ってゴルゴタの丘を登った主イエスの姿が重なる。神に、御子を差し出す決断を促したのは、ご自分が創造された世界と人間を愛する愛だ。独り子を与えるほどの神の愛と、それに従う御子の従順によって、私たちは「永遠の命」を生きる者とされたのだ。
◇その神の愛を示す「聖書のみ」と、それを信じる「信仰のみ」に堅く立とう。
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