説教要旨

10月13日 

 「耳を傾けないのなら」 牧師 大村 栄
        ルカによる福音書16:19~31

◇「19:ある金持ちがいた。...毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。20:この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわっていた」。「22:やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。23:そして、金持ちは陰府(よみ)でさいなまれ」た。

◇金持ちはラザロの存在を知っていたが、何もしてやらなかった。その彼が陰府(よみ)に落とされたのは、悪い事をしたからではなく、何もしなかったからだ。一般の法では「なした罪」が問われるが、聖書では「なさなかった罪」「分かち合わない罪」が裁きの対象となる。

◇「我々が我々のパンを一緒に食べている限り、我々は極めてわずかなものでも満ち足りることができる。誰かが自分のパンを自分のためにだけ取っておこうとするときに、初めて飢えが始まる。これは不思議な神の掟である」。(D・ボンヘッファー)

◇金持ちは地上の自分の兄弟のところにラザロを遣わして、「28:こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください」と懇願するが、アブラハムは、「お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる」と答える。彼らに聖書があるということだ。続けて「31:モーセと預言者(聖書)に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう」。ここに「独占の罪」に続く「聞かない罪」という本テキストの第2のテーマがある。

◇「死者の中から生き返る者」の究極は、復活の主イエスである。旧約に預言され、新約に成就した主イエス・キリストの愛と救いの言葉に「耳を傾けないのなら」、金持ちが犯した様な「独占の罪」により「陰府(よみ)でさいなまれ」かねない。これは警告の言葉だ。

◇聖書の言葉が本気で語られ、本気で聞かれる礼拝を習志野教会は目指したい。説教の良し悪しだけではない。聖書と説教を中心とした礼拝全体を通して、キリストにおいて語られる神の救いの言葉を「聞き入れ」たい。それは私たちの命に関わる出来事なのだから。

◇バビロン捕囚後に再建された神殿の礼拝で神の言葉が宣べられた後、総督ネヘミヤと祭司エズラは民に告げた。「今日は聖なる日だ。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」(ネヘミヤ8:10)。聖書が記す罪への警告に「耳を傾け」、罪の赦しを告げる十字架の愛の言葉を「聞き入れ」感謝しよう。そのようにして「主を喜び祝う」礼拝を、私たちの「力の源」としたい。

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