説教要旨

2019年9月8日
     「裁いてはならない」 牧師 大村 栄
             ローマの信徒への手紙14:1~10

◇「1:信仰の弱い者」と強い者がいる。両者の違いは、たとえば「5:ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、すべての日を同じように考える人もいます」。信仰の本質ではない宗教的生活スタイルや昔からの慣習にこだわり、恐れるのが「弱い者」である。

◇だがパウロはそのような、「1:信仰の弱い者を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません」と忠告する。その根拠は、「3:神はこのような人をも受け入れられたからです」。

◇神は神の子ら一人一人に別々のプランを持ち、道を備えておられる。それは決して画一的ではない。「常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる」(箴言3:6)。一人一人に「あなたの道」がある。ひとの道を批判したり、裁いたりするのは神への冒涜だ。「信仰の一致が生活の多様性を生む」教会でありたい。

◇「キリスト者は何人にも従属しない君主である。キリスト者は何人にも従属する僕である」。(M・ルター『キリスト者の自由』)。この2つの矛盾する命題は、キリスト者においては共存するのだ。私たちが唯一従属する主イエスが、「仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た」(マタイ20:28)のならば、私たちも全ての人に仕える者となるのだ。

◇「8:わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです」。決定権を主なる神に委ねることを忘れるのが根本的な方向間違いであり、それを罪と言うのだ。

◇私たちは主のものとされている。だからお互いを主のもの同士として尊重し合いたい。そしてそれぞれ一人一人に与えられた自分の道を、常に主を仰ぎつつ、まっすぐに歩む者でありたい。

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