説教要旨

9月1日
    「聞くに早く、話すに遅く」 牧師 大村 栄

         ヤコブの手紙1:19~27

◇「ヤコブの手紙」は伝統的に、主の弟ヤコブの著とされてきた。「19:聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい」。耳は二つ、口は一つ。だから話す言葉の倍は聞くべし...そんな教訓であるだけではなく、「21:心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい」と、「御言葉」(神の言葉)を聞くことを勧めている。

◇そして御言葉を聞く人は、聞いて「24:すぐに忘れてしま」うのではなく、「22:御言葉を行う人になりなさい」と命じる。その行いとは具体的に「27:みなしごや、やもめが困っているときに世話を」するような隣人愛であり、「27:世の汚れに染まらないように自分を守る」という自らを整える信仰の生活でもある。著者はそれらの実践を要求している。

◇宗教改革者マルチン・ルターは、本書が行為を重んじる点で価値の低い「わらの手紙」だと批判した。16世紀のローマ・カトリック教会は、免罪符の購入などが信仰の実践として必要だと教えた。ルターはこれに抵抗(プロテスト)して、神の救い(義)は「信仰のみ」によると主張した。

◇ルターが「信仰義認」の根拠としたのはローマ書3:22「イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義」である。しかしローマ書の著者パウロもⅠコリント13:2では、「たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい」と信仰が必然的に愛を伴うものだと言っている。

◇「日本基督教団信仰告白」では「聖霊は我らを潔めて義の果(み)を結ばしめ、その御業を成就したまふ」と唱える。信仰が実を結び、愛の業に発展していくこと、それが神の計画する「御業」なのである。

◇しかしそれがなかなか出来ない自分の弱さを嘆き、少しでも変えて頂けるよう祈り求めるのがクリスチャンなのかも知れない。そしてそのような狭間に身を置く自分を知るのがこの世に生きる信仰者の実態と言えるのではないだろうか。

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