説教要旨

8月25日

   「助けはどこから来るのか」 牧師 大村 栄

                 詩編121:1~8
 
◇「1:目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。2:わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから」。聖書の神は創造主であって被造物ではない。だから「4:まどろむことなく、眠ることもない」。常に被造物を見守っておられる。


◇「6:昼、太陽はあなたを撃つことがなく、夜、月もあなたを撃つことがない」。熱中症の被害が多い夏だった。だが本来すべての被造物は、神の秩序の中でお互いを生かし合うものだ。太陽光線も月明かりもなくてはならないもの。「7:主がすべての災いを遠ざけて、あなたを見守り、あなたの魂を見守ってくださるように」。すべての背後に、私たちを守り育てる神の深い配慮があるのだ。


◇「8:あなたの出で立つのも帰るのも、主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに」。この「出入り」は古い生活から出て新しい生活に入ること。その究極はいのちの始めと終わりである。讃美歌21-575「いのちの終わりは、いのちの始め」。


◇イスラエルの民はアブラハムの出発から始まった。「主はアブラムに言われた。あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい」(創世記12:1)。彼はこれに従い「信仰によって...行き先も知らずに出発した」(ヘブライ書11:8)。それ以前の血縁の共同体から、信仰による共同体を生きる者として出発したのだ。


◇古い自分から出て、新しく信仰に生きる世界に踏み出すには不安がある。だから私たちは神への信頼を取り戻すために、しばしば「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ」。そして「わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから」との確信を新たにしなければならない。

◇そのために日曜日ごとに礼拝を守るのである。この詩は表題に「都に上る歌」とある通り、エルサレムの聖所への「巡礼の歌」である。主の日ごとに教会に集い、礼拝を共にすること、これが私たちの「巡礼」なのである。

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