説教要旨

7月26日
   「主の後に従う」  安藤博子先生
        マルコ福音書1:16~20

◇主イエスが弟子たちを招く場面。「16:イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった」。そして「17:「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた」。

◇最初から「伝道者にしよう」ではなく、「人間をとる漁師」と言われたのは、漁師が漁師のままで、各人があるがままでみ業に招かれるということだ。主は私たちの日常生活の場へ来て下さり、すべてをご存じで、そのままで私に従いなさいと招かれる。


◇「18:二人はすぐに網を捨てて従った」。「すぐに」は時間的な早さだけでなく、神の招きとそれに対する人間の応答がセットであることも示している。即答できなくても、招いた神は応答があるまで待っておられる。それも漫然と待っているのではない。招きを拒絶したモーセにされたように、色々な形で納得させて下さる。


◇シモンにとって網を捨てるとは仕事を失うこと。ヤコブとヨハネは、父親を「20:舟に残して」主に従う。主イエスに招かれて「すべてを捨てる」とは、神から預かったものを一度神にお返しすること。神はそれを私たちに最も相応しい形で与えて下さる。


◇「20:後について行った」ペトロは後に3度もイエスを「知らない」と裏切った。パウロも挫折した。それでも彼らがそこから立ち上がれたのは主が常に彼らの前に歩み、共におられたからだ。


◇マルコ福音書の最後、「弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働」かれた(16:20)。「17:わたしについて来なさい」と言われた主イエスは私たちと共にいて下さり、「お前を決して孤立させない」と言って下さる。主イエスに従うとは、その主の愛への感謝と応答なのである。