説教要旨
7月14日
「神の喜びにあずかる」 大村 栄
ルカ福音書15:1~7
◇社会の底辺にいた「1:徴税人や罪人」が集まり、彼らを非難する人々もいる前で、主イエスは「見失った羊」のたとえを語る。「4:あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、99匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか」。
◇20世紀にエジプトで発見された「トマスの福音書」においては、この羊は特別な価値ある羊だったとある。だとしたら羊飼いの行動は理解できる。しかしそれは主イエスの真正の言葉ではないとされ、その文書は「正典」と認定されていない。
◇「正典」は旧約39巻、新約27巻、計66巻の聖書だ。正典たる「ルカによる福音書」においては、この一匹に特別な価値があった訳ではない。特別の価値のない一匹を、それが「見失った羊」であるからという理由で、羊飼いは探し求める。
◇エリコの町の徴税人ザアカイに、主イエスは「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」(ルカ19:5)と言われ、その夜、彼の家で「人の子(主イエス)は、失われたものを捜して救うために来たのである」(同19:10)と言われた。失われた羊を探し求める羊飼いのように、自分の居場所を見失っている者を元に戻すために、主は来られたのだ。
◇「4:あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、...」。羊飼いの立場に身を置きなさい。そして「5:見つけたら、喜んでその羊を担いで、6:...『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう」。その喜びを味わう者となりなさいと招かれている。
◇私たちは自分自身が神に探し求められる「迷子の小羊」であることを知ると共に、私たちの教会が「4:百匹の羊を持っている」羊飼いの「責任と喜び」を自覚するものとなり、一人の「7:悔い改め」(人生の方向転換)を喜びたもう神の喜びにあずかるものとなれますように。