説教要旨

7月7日

  「生涯の同伴者」 大村 栄
      使徒言行録8:26~40

◇「26:主の天使はフィリポに、「ここを立って南に向かい、エルサレムからガザに下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である」。フィリポは辺境へ派遣された。すると「27:折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、28:帰る途中であった」。


◇宦官とは、王宮内で男子禁制の女性居住区(江戸城の大奥など)の管理をするために去勢された男性である。華やかさの中でも、空しい日々だったかも知れない。聖霊に命じられて、「30:フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえた」。宦官はフィリポに馬車への同乗と、聖書の「手引き」を頼んだ。


◇彼が朗読していたのはイザヤ書53:7-8「苦難の僕の歌」である。「32:彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、口を開かない」。その前の53:4には、「彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであった」。この「苦難の僕」こそは、人間の罪という「病」、それによる「痛み」を私たちの代わりに担い、十字架について下さったイエス・キリストを預言するものだったのだ。


◇フィリポは「35:聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた」。宦官はその「手引き」を通して、キリストとの出会いを体験し、洗礼を願い出る。「36:ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか」。


◇洗礼を受けるとすぐにフィリポは見えなくなり、宦官はまた一人旅を続ける以前の姿に戻った。だが彼はもう以前の孤独な彼ではない。主イエスが「生涯の同伴者」として共におられるから、「39:喜びにあふれて旅を続け」ることが出来たのである。