説教要旨

6月16日  三位一体主日

   「三位一体のきずな」 大村 栄
       ルカ福音書10:17~24

◇三位一体について。「信仰を山登りに例えるなら、頂点で招いておられるのが神。そこを目指して登る我々のかたわらで手を引いて下さるのが子なるキリスト。しかしこのキリストの手が見えないとき、後ろから押して下さるのが聖霊の助けである」(北森嘉蔵)。

◇ペンテコステに「聖霊の助け」を得てから、弟子たちは雄々しく伝道した。今日の箇所で、困難な伝道に派遣されたが成功して帰ってきた弟子たちは、「17:主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します」と誇らしげに報告した。だが主は彼らに「20:喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」と言われた。

◇木曜日の聖研祈祷会で学んだ「ヨハネの黙示録」20章には、「最後の審判」が記されている。死者たちが神の御前に立たされ、「その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた」(15節)。「この火の池が第二の死である」(14節)。この「命の書」に記されることが、「20:あなたがたの名が天に書き記され」ることと等しい。


◇教会員の「名簿」(原簿)がその「命の書」であると言えよう。受洗して教会に籍を置き、そこで責任を果たし、最期はそこから天国へ送られるのが信仰の生涯だ。たとえ地上で苦悩があっても、最期に神の御許で「命の書」が開かれ、そこに自分の名があれば天国に迎えられる。「20:あなたがたの名が天に書き記されている」とはそういう事なのだから「喜びなさい」と言われる。

◇招詞で読んだヨハネ福音書15:16「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」。選ばれて洗礼を受けたのがキリスト者である。父・子・聖霊の三位一体の「きずな」の中に、私たちも身を置く者とされたことを喜びたい。