説教要旨

6月9日  ペンテコステ(聖霊降臨日)  

    「神の言葉を聞く時」 大村 栄
            使徒言行録2:1~13

◇「1:五旬祭(ペンテコステ)の日が来て、一同が一つになって集まっていると、...3:炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。4:すると、一同は聖霊に満たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」。

◇これを聞いたのは、「5:天下のあらゆる国から帰ってきた、信心深いユダヤ人」たち。年に一度の過越祭に父祖の地に帰ってきた彼らは、「8:どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか」と不思議がる。メソポタミア地方からアラビアやアフリカ大陸までの広大な地域から帰って来たのだ。


◇この奇跡の意味は分からない。ただ大事なのは弟子たちが、なぜ語れたかではなく、何を語ったのかだ。「11:彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」。それは人間のストーリーではなく、「神の偉大な業」を語る言葉だったのだ。

◇神の言葉や祈りの言葉は言語の壁を越えて通じる。私は若い日に悩みの中で米国人の宣教師に、英語で祈ってほしいと頼んだ。たどたどしい日本語で祈られるより、その方が彼の祈りをストレートに受けとめられると直感したからだ。そして言葉の壁を越えて深い慰めを聞き取り、心底アーメンと言えた。


◇人々は「どうして弟子たちは...語るのか」と問わず、「どうしてわたしたちは...聞くのだろうか」と自問している。ペンテコステの奇跡は、神の言葉を求める人々の、聞く姿勢によって実現した。聞いた人々がその神の言葉を受け入れ、洗礼を受けて教会が世界に誕生した。


◇習志野教会は、まず礼拝で神の言葉を聞くことを大切にしたい。ヨハネの黙示録3:20「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をする」。招きを聞いて心の戸を開こう。