説教要旨  3月29日
     「一粒の麦死なずば」 大村 栄牧師
           ヨハネ福音書12:20~26

◇ギリシア人の面会があると聞いた主イエスは、「23:人の子が栄光を受ける時が来た」と言われた。弟子たちは、「いよいよ先生はこれから、輝かしい世界伝道に着手されるのだろう」と期待したに違いない。

◇しかしそれに続く主の言葉は彼らの期待に反するものだった。「24:はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」。誰が聞いても、ご自分が死ぬと言っているのだと分かったろう。

◇さらに言われた。「25:自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」。ただ生きることに執着して、生きることの意味や目的を考えたり、生かされていることの感謝がないのが「自分の命を愛する者」だ。そのような人は、「それを失う」とあるが、実はすでに自分の本当の命の価値を見失っているのかも知れない。

◇そういう自己中心の執着から解放され、「自分の命を憎む」人は、「それを保って永遠の命に至る」。「タラントンのたとえ」のように、神から託された宝=命を、失う危険を冒してでも用いた人は高く評価される。しかし失うことを恐れて隠しておいた人は裁かれる。

◇この命、すなわち「一粒の麦」をかたく握りしめていた手を開いて、それを他者のために差し出し、捧げることによって、これは豊かに生かされ、やがて「多くの実を結ぶ」。十字架の主イエスにならって、そのような命の使い方をする人は「25:永遠の命に至る」。キリストは私たちを、そういう命の使い方へと招いておられる。

◇「26:わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる」。キリストに従い、愛の業に励む者には、「生きる時も死ぬ時も」、主イエスがそこに共におられる。

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