説教要旨

11月24日
「真理とは何か」 牧師 大村 栄
        ヨハネ福音書18:33~40

◇主イエスはゲッセマネの園で捕らえられ、大祭司カイアファのもとに連行された後、ローマ総督ピラトの尋問を受ける。ピラトは主イエスに「33:お前がユダヤ人の王なのか」と問う。ローマへの反乱を主導する危険人物なのかという意味だ。

◇それに対する主イエスの答えは、「36:わたしの国は、この世には属していない」。「国」は地理的領域のことではなく、そこでなされる支配のことを言う。主イエスの属する国は、神の支配に服する世界、神の国である。地上の権力と神の支配を比較するのは、全く土俵が違う。かみ合う話しではない。

◇ピラトはイエスの言葉の意味が理解できず、「37:それでは、やはり王なのか」と問う。彼はイエスを首謀者と断定し、社会を混乱させた罪によって死刑判決を下そうとしている。それに対して主が言われるのは、私を王と呼び、責任を負わせたいと思うのは勝手だが、私が来たのはこの世の権力を握るためではない。「37c:わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである」。

◇ローマ的合理性によって、真理などは主観的な概念でしかあるまいと思っているピラトは、「38:真理とは何か」と言い捨ててその場を去るが、自分の目の前にいるお方が「真理」そのものであることに気付かなかった。ヨハネ14:6「わたしは道であり、真理であり、命である」。真理とは単なる概念ではなく、神の子の人格的存在そのものなのである。

◇ヨハネ8:31-32「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」。国会図書館に刻まれている言葉だが、キリストによる自由とは、「罪からの自由(赦し)」であり、「永遠の命への自由(希望)」である。

◇キリストとの人格的な交わりによって「真理」を知り、それによって真の「自由」を生きるのがキリストの弟子、クリスチャンなのである。

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