今週の説教

説教要旨
    8月29日 「究極の希望 大村 栄(最終説教) 
          
マタイ福音書13:44~52

◇「天の国(天国)」は死後に行くだけの世界ではなく、未来を信じて、地上の生涯を平安に生きることこと。天国とはそういう信仰の究極であり、キリストのメッセージの中心である。

◇「44:天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う」。埋蔵金を偶然に掘り当てた農夫は黙ったまま資金を掻き集めて、地主からその畑を購入する。

◇この宝の発見は偶然のもので、労働の成果や業績ではない。私たちの人生にも、神による宝が隠されている。その宝に気づいて感謝と喜びを生きるのが「天の国」を生きるということだ。しかも彼はもう小作人ではなく、自立した人間となる。宝の発見は人を主体的な行動に生きる者へと変えるものでもある。

◇「45:また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。46:高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う」。畑の宝は偶然発見したが、この真珠は商人が、時間と労力をかけて探し求めたものだ。神の恵みを得るのは偶然を待つだけではない。彼もこの高価な真珠のためにすべてを捨てて人生を捧げた。それだけの価値があるものなのだ。

◇「51:天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている」。天国を確信する信仰という「宝」を手に入れた者は、新しい者と古いもの、必要なものと不要なもの、それらを識別する知恵を持つことができる。それが「天の国のことを学んだ学者」と言われる者だ。

◇その知恵を信仰によって学び、天の国という「究極の希望」を目指して生きる習志野教会の群れであって頂きたい。

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